戦艦大和
桜の花も散ってしまい、時期的にタイミングを逃しました。4/3付けの朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記 桜の国で6」より。(Asahi.comを探したのですが記事はWeb上では読めないようでした。)
戦艦大和がブームだそうです。記事にもありますが、昨年末に封切られた「男たちの大和」が影響しているようで、実物大の大和の撮影セットに訪れた人は約70万人とのこと。「最後の大和出撃」が61年前の4/5、帝国海軍の象徴であった大和が、これも海軍の象徴である桜の季節に最後の命運をかけた「沖縄作戦」に出撃後、3時間(だったかな?)も持たずに、米軍機の猛攻を受けて撃沈されたのは皮肉と言えば皮肉な運命です。
小学生高学年の頃、こうした戦記物に興味があってかなりデータを集めていました。大和については既に開戦後に就航したため(いわゆる「軍機」として扱われた)、世界最大の46cm主砲、東京駅並の巨大戦艦ということ以外は一般にはあまり知られていないようですが、ブームになっているのは大和自体のデータもそれなりに描かれていることもあるのかなと想像しています。
大艦巨砲主義に則って建造された最後の巨大戦艦(まぁ、姉妹艦の「武蔵」「信濃」(*1)もあるわけですが)、世界最大の46cm主砲が敵艦に対して効果を上げたのはほんの数回しか無かったこと(多くは群れをなして襲ってくる航空機--- 雷撃隊 ---に対して砲撃がなされた(*2))、そして、大艦巨砲主義の終焉を世界に示したのは、ほかでもない「大和」を所有する帝国海軍であったこと(ex.真珠湾攻撃。もはや、戦争は航空母艦とそこから発艦する航空機を持つ、機動部隊の時代であることは日本が世界に示した。)など、「大和」の存在自体が悲劇の象徴だったのではないか...そんな気がしています。そして、その「大和」を信じてともに海に沈んだ約3,000名の乗組員たちの悲劇は二度と繰り返してはいけないと...この記事を読んで考えさせられました。
*1 「武蔵」は1944年10/24フィリピン シブヤン海海戦にて魚雷20発を前部に受け沈没。「信濃」は戦艦から、当時世界最大の空母に改装。テスト航海中に米潜水艦の雷撃を受けて沈没。
*2 既に「大和」の主たる敵は艦艇ではなく雷撃機、急降下爆撃機などの航空機になっていたため、三式弾(だったかな)と呼ばれる、いわゆる炸裂弾により主砲を使った防空手段とすることが多かった。しかしながら46cm主砲発射による猛烈な爆風は対空機銃要員にとっては最大の敵であり、主砲発射の度に安全な避難所に待避することを強要するなど、両刃の剣になっていたことも確かだと思う。
*3 沖縄作戦に於いて「大和」が片道燃料しか積んでいなかったと言う説がかなり広まっていますが、Wikipedia日本語版によれば、実際にはかき集めた重油の量は満載時の2/3あり十分往復できたという説もあります。
#実は映画も見ていませんし原作も読んでおらずで...買ってきたばかりです。これから読みますぅ(苦笑)。
決定版 男たちの大和〈上〉辺見 じゅん
決定版 男たちの大和〈下〉辺見 じゅん
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